質問箱「能の泉」第11回

能の泉

能の伝統は今日までどう守られて来ましたか?

江戸式楽の伝統を色濃く残す宝生流を例にお答えしましょう。

まず台本ですが、宝生では観世の謡本を直して用い、寛政時代にようやく自前の謡本を刊行、その後嘉永、明治、大正と増刷、昭和に入って読み易いように全文を書き改めました。その間、「月の色人」(羽衣)を「月の宮人」に改める等の誤謄写の修正はしても、徳川(松平)様への遠慮から「松はもとより薪にて」(鉢木)を「松はもとより常磐にて」と変えて謡って来たカザシ文句はそのまま残し、行末の句点を次の行頭に打つ室町以来の伝統も尊重しています。又節の記号も、伝来のものを変えずに補助記号を付加する方法で詳細化しています。廃曲「木曽」の中で謡われた「願書」が三読物の一つとして伝わっておりますが、その原典である平曲の本文と読み方からほとんど変わっていません。

次に演出ですが、その基準となる能楽草創期以来の本面が明治以降どうなっているかというと、金春は譲渡先から東京国立博物館に売却、金剛は三井家に引き取られ、喜多は六平太が養子に入った時拍子盤しか残っておらず、梅若も実が養親から譲り受けた物は何もなく、結局観世宝生以外は後の家元が優品を揃え直しました。基準の面が変われば演出が変わるのも又伝統のうちです。

最後に伝承者ですが、宝生は明治の名人九郎知栄が家柄より実力を重んじて松本長、野口兼資等きら星の如き弟子群を残し、次の九郎重英も稽古好きで水準以上の弟子を大勢養成、更に近年まで弟子家の能主催を許さず勝手な解釈や演出が封じられて来ました。又宝生は、徳川一族が嗜んでいたため武士道精神を心得た素人弟子に恵まれ、型崩れしにくかったようです。いみじくも河東碧梧桐が「武士道の精神を解さないことが謡も型も乱れるもとだ」と述べています。だが令和の今日、武士道精神を体現する弟子も絶えてしまい、芸一筋の能役者が能の本質を変えずに生き残れるのかは極めて心配な状況ではあります

(副会長 宝生流 村上良信)

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