質問箱「能の泉」第9回

能の泉

なぜ能の動作はゆっくりなのですか?

以前能のテレビ番組を見ていた三歳三ヶ月の息子から「お父さま、どうして能はゆっくりなんですか」と質問されたことがありました。能の動作は、曲や場面で速いのも遅いのもあるのですが、芝居歌舞伎に比すれば確かに緩慢です。それが何故かというのは、能にどっぷり漬かっていると当たり前のこととして考えも及ばない好質問です。その時とっさに、「重々しさ恭しさを表すとゆっくりになるんだよ」と答えました。

能の〝速さ〟には「緩急」以外に「序破急」と「位」という概念が存在します。
「序破急」は、全体的な流れの中での緩急変化の法則で、静かに始まり中程で変化して急で終わる原則を言います。一曲の中にも、一段落の中にも、一句一節の中にも見ることが出来ます。

「位」は、曲と曲、或いは役と役間の相対的スピード関係を左右する格付けを言います。曲の格付けは流儀によっても異なり、同格の曲でも五番立ての中の何番目物かで扱いが異なり、「位」は数値化の出来ない難解な用語です。総じて高級な曲程また主役に近い役程位は高くなり、そして位が高い程ゆっくりになり、ゆっくりなもの程位があると言うことが出来ます。

ではゆっくりが高級であり上位であることを示すとは、いったい何に由来し何を意味するのか。実はそれを考えた先人に長谷川如是閑がいました。彼は能の言語動作の緩慢な謎を、敬意を込める程言葉が長くなり厳粛になる程速度が緩慢になる日本人の日常生活の特徴に由来すると喝破しました。能のゆっくりは敬意と厳粛さの表れだと言うのです。思うにそれは、能が神仏への祈りであるからにほかありません。能に造詣の深かった伊達政宗公が、能を「我が身の祈祷なれば」と書き残しているのはさすがです。

(副会長 宝生流 村上良信)

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