質問箱「能の泉」第2回

能の泉

織田信長が「人生五十年」と謡って舞う場面がドラマや小説によく出てきますが、あれは能ですか。

よく聞かれる質問ですが、答えはノウです。能の遠戚みたいなものと言いましょうか、幸若舞の「敦盛」という曲の一節で、能とは同名異曲です。

今の能は、大和猿楽結崎座の逸材観阿弥・世阿弥父子の猿楽革命によって大成されたものと伝えられています。そして交流の深かった他の大和の三座と共に、時の権力者の庇護を得て、今日まで600年にわたって洗練の度を加え、世界稀に見る伝承芸術として凛然と光り輝いています。

対する幸若舞は、同じ頃、源義家の裔幸若丸が始めた舞と言われ、信長の覚え目出度く江戸時代にも幕府の扶持を貰っていましたが、今は見る影もありません。

さて、大和の四座は、後に観世座(結崎座)、宝生座、金剛座、金春座となり、江戸初期に新流樹立を許された喜多流を加えて、四座一流(よざいちりゅう)と呼ばれました。

能はシテ方、ワキ方、囃子方、狂言方と分業制になっておりまして、それぞれ沢山の流儀に分かれておりました。そして江戸時代には座付きといって、すべてシテ方の流儀と専属関係を結ばせられておりました。しかし、明治維新後の流儀の消滅減少に伴い、座付き制度は維持できなくなって解消されました。

観阿弥・世阿弥の時代には、大和猿楽以外にも近江、宇治、伊勢、摂津、丹波等に猿楽グループが存し、外に田楽能や幸若舞等の芸能集団もあって、随所に花開いていたのですが、大和猿楽の四座一流に合流せずに生き延びることは出来ませんでした。今も観世流に籍を置く梅若一族は丹波猿楽の流れであり、幕府の崩壊後に新流樹立を再三試みましたが、諸般の事情で果たせませんでした。又喜多流の梅津家は、元は田楽法師の家と伝えられています。

(副会長 宝生流 村上良信)

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