質問箱「能の泉」第3回

能の泉

能の演目はどれくらいありますか?

能の曲は文献に残っているものだけで二五○○番を超えるといわれます。しかし今も実際に舞台にかけられている曲は、その一割ほどにすぎません。幕府へ提出した書上や宗家公認の謡本等から各流儀の公定演目をさぐってみると時代によって増減があり、現在は観世流で二百十番、宝生流で百八十番、金春流で百六十五番、金剛流で二百二番、喜多流で百七十番程で、その内シテ方五流総てにある曲は百三十番程であります。
また、一流儀限りの曲を沢山持っているのは観世流で、恋之重荷等十六番を数えますが、うち「木曽」等四番は明治以降に復曲されたものです。宝生流では、逆に明治になってから、一流儀限りの曲のほとんどを廃曲にしてしまいました。

因みに、各流が三読物の一つに数えて尊重している「願書」は、前掲「木曽」の中の一節で、能の演じられない流儀では演奏される機会のないまま幻の秘曲と化しつつあります。
演奏記録が見当たらないといわれる幸清流小鼓一調による「願書」は、平成十四年三月宝生流近藤乾之助氏が、また少し遅れて、素人では空前絶後と言われながら筆者が謡わせて頂きました。

ところで、能の演目には何かの障りで地方によって禁曲とされていたものがあります。北陸地方では「班女」が、筑後柳川藩では「清経」が、上州高崎藩では「頼政」の上演が避けられていたそうです。逆にその土地でしか演じられない曲というものもありました。
奥州仙台藩の「摺上(すりあげ)」という曲がそれです。これは政宗公の威徳を称揚せしむるものとして乱舞頭金春大蔵流桜井家が秘曲として管理し、大鼓小鼓笛の三役には本文はもとより一切他言しない旨の神文誓詞を入れさせた上で上演に参加させ、藩主以下裃を着用し座蒲団を敷かずに威儀を正して見物したそうであります。

(副会長 宝生流 村上良信)

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