質問箱「能の泉」第4回

能の泉

宝生流に家元が二人いるのは何故ですか?

能はシテ方、ワキ方、狂言方、大鼓方、小鼓方、笛方、太鼓方の分業制になっておりまして、それぞれにいくつかの流派が存在しております。そして江戸時代には、座付きといって、シテ方以外の流儀は観世、宝生、金春、金剛、喜多五流のいずれかと専属関係にありました。それが明治維新後、スポンサーを失って収入の道を絶たれ、或いは転職し、或いは掟破りをして復帰の道を絶たれるなど、消滅する流派が続出し、今はワキ方三流、狂言方二流、大鼓方五流、小鼓方四流、太鼓方二流、笛方は三流といった具合で、必然的にどの流派とも付き合わざるを得なくなりました。

ところで、謡には上掛かり下掛かりの別があります。観世と宝生の二流が上掛かり、金春、金剛、金剛から出た喜多の三流が下掛かりと呼ばれます。名前の由来は定かではありませんが、上掛かりでクリという節を下掛かりではシホリと言い、片膝を立ててすわる時も上掛かりは左足を下掛かりでは右足を立てます。

さて、そこでお尋ねの宝生流ですが、実はシテ方の宝生流の外にワキ方にも宝生流があるのです。ワキ方の宝生流は、金春座付きのワキ方春藤流宗家の弟の流れで、宝生の座付きを命じられてから宝生を名乗ることになったものの、春藤流の初代は金春を学んでおり、謡は下掛かりなのであります。そこでワキ方の宝生流を区別するために、下掛宝生流または脇宝生と呼ぶこともあります。ワキ方の宝生家の本姓を東條と言い、家元のみが宝生姓を名乗ったようです。因みに東條英機は、南部藩お抱えとなった宝生分家の末裔に当たります。

(副会長 宝生流 村上良信)

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