問
優津川雅彦主演の「プライド・運命の瞬間(とき)」という映画(1998年東映)に突然能が出て来たのですが、あれは一体何だったのでしょうか?
答
「プライド」は日本敗戦のあと自殺し損なって東京裁判にかけられた東條英機元首相の苦悩を中心に描かれた名画です。
能は〝見手を嫌う〟と言って、分かるように説明したりはしません。この映画も、分かる人だけが分かる、いつか分かってアッと感銘に浸ってくれればそれで良しといった仕掛けが随所に見られる作品です。
例えば風呂上がりの東條の脇腹の目印を付け直そうと子供が手にした筆を夫人がとんで来て払いのける場面は、銃口のあてどころを主治医に決めて貰っていた話を知っている人は、夫人の気持ちが分かってジーンと来るところです。なぜ必殺のこめかみでないのかは説明されません。自殺未遂を知った人々が「日本人の面汚しや」と罵るシーンが続きます。夫人は「言い訳をするな」との遺言を守って何も語りませんでした。実は東條の側近だった佐藤賢了が未だ公表されてないがと前置きして語っており、東條は最高責任者として収監されてから死ぬことで天皇への責任追及を阻止しようと考えたが、収監後の自決は難しいので虫の息で収監されてから死ぬ計画だったけれども、米国の医術が進んでいて果たせなかったのだそうです。
それから、入廷した印度のパール判事が被告席に向かって合掌する場面は何かと言うと、独立支援への感謝の気持ちの表明です。
さてお尋ねの能ですが、これは護送車前での戦争未亡人の自決騒ぎの後の法廷で東條が見た白昼夢です。曲は「藤戸」で、武将が「我が子を返せ」と母親に迫られる能です。東條がそれを幻に観る素養を持っていたという前提で描かれており、それは、東條が下掛かり宝生流の分家筋で南部藩お抱えのワキ師の直系だったという史実をふまえてのものです。脚本家の教養の高さを窺い知らされるではありませんか。
(副会長 宝生流 村上良信)