能講座にはいろいろあり、能面をいくつも見せるものや豪華な能装束を見せ体験させるものなど担当者が観客に伝えたいものによって様々です。 私の視点は教育的視点です。講座に参加する前の能についての生徒の思いを知り、講座を受けて、それがどのように変化したのかを知ろうとします。 講座を受ける前の能への知識の実態、それを分析した上での働きかけ、実技後の変化を「認識実態 働きかけ 変化の確認」とワンセットで捉えます。 この方法で講座を行い、生徒達がどのように受け止めたかを記述したものを次にお示しします。
「土曜ゼミナール」参加者の質問・疑問に応えて私から伝えたいこと
1 受講生の学びたい事は何かを知る事が講座の出発点
受講生の能への興味を知るために当日使う資料を送り意見を聞く。
資料レジメに載せたことについて質問が寄せられた。
能装束、能の演目、能の楽譜の読み方、西洋音楽と能の謡の違い、能の特徴、歴史、能の表現方法、能の基本的な動作、能の考え方、能の言葉遣いや動き、能面、能楽で用いられる道具や、能舞台、等々。
網羅的で何故学びたいかをとらえることが難しいものだった。
2 当日の流れ
あ)学ぶとは 何のために学ぶか
学校教育では正しいと結論が出ていることのみを教える。完成したものを教えるのであり未完のものは教えない。
一例としてパワーポイントを用いて学校教育で扱うユークリッド幾何学の他にも位相幾何学や射影幾何学、非ユークリッド幾何学等があり、能楽堂の橋がかりの松の大きさも一の松、二の松、三の松は等間隔に置くのではなく、大きさも大中小と同じにしないのは橋がかりを歩いて「急ぎ候ほどにこれははや都に着きて候」と実際の長さより短く見せる射影幾何学的手法を用いた例を示した。
外国のものは一人では学びにくいので学校教育で教える。(西洋音楽の五線譜)日本のものは日本人なので自分で学べるという前提にたつ。
【生徒の感想】
日本の教育方針では正しいものしか教えないということに衝撃とともに納得しました。学校で学ぶものだけではなく自分で興味があるものは知識を深めていきたいです。また両極を考えるという言葉にも衝撃を受けました。視野を拡げるというのはこのような意味なのだと思いました。
い)能「鶴亀」が今の私達になぜ伝えられたか
講座で取り上げた「鶴亀」にはユークリッド幾何学ではない幾何学の出現を専門家ではない(数学者ではない)人々が、その当時は科学的に正しい事が得られていない時に支持し続けてくれた。そして今の私達に届くまでずっと多くの人達が伝え続けてくれた。今正しいと分かっていることだけを大事にして他を無視している人だけであれば「鶴亀」は私たちには届かなかったのだ。まだはっきりしないけれど今自分ははっきり言えないが、何か大事そうだと思った人達が、周りのそれはおかしいよという人びとに囲まれながら伝えてくれた。数学を専門にしていない多くの人達が数学の事を考えていたということ。私達も専門外だからと自分の専門の事だけを発言するのではなく専門外でも自分の意見を持つ権利があるのだ。
能「鶴亀」には歴史的・文学的なものだけではなくユークリッド幾何学ではない幾何学の出現も予言していた。その当時の人々がおもしろいと思うことや不思議だと思うこと未知のものへの興味や期待があるからこそそれに応えて後の世の人によって不思議が解明されていくといえる。
私は大学では数学教育を専門として学生に教えていた。
数学は一つの専門領域である。人はそれぞれ自分の専門領域を持って世の中に貢献していくが、専門領域だけが大切なわけではない。それぞれの専門領域が集まって全体がどのように機能していくかも私達全員が考えるべき事といえる。自分の専門の事だけしか考えない人のことを専門馬鹿という。自分は与えられた事だけをやればいい、他のことについては私は知らないと全体のことに無関心になることで社会はどのようになっていくのだろうか。
う)両極を考えるとは 好きの反対は無関心 専門と非専門
全体と部分 集団と個人 総合と分析 周りの人と自分 完成と未完
子どもの頃の話です。ピアノを習っていて新曲に取り組み始めた時に、左手だけでゆっくり弾き次に右手で弾いていたところ母にそんなに下手なピアノを聞かされるのは迷惑だ。もう少しうまくなってから聞かせるべきだと言われた。最初は出来なくて当たり前と思っていた私はなぜそう言われるのかを考え改善の余地があるか考えた。新曲にとりくむに当たってはゼロからの出発ではない。前の曲で出来るようになったこと、新曲で新たに挑戦すべき事を考え実技に入る前に分析し、完成を予想してそこに何が足りないかをまず考えることが大事だとして取り組んでみた。すると完成の全体像と到達点の予想がつき効率良く練習ができるように思えた。自分の要求水準を高く持たなければいつもゼロからの出発では努力しても効率が悪い。歌の伴奏をする時母は歌う人の音程にあわせて転調出来るが私は楽譜通りにしか弾けない。これも要求水準が低いせいだ。こうなりたい、こうしたいという思い・要求水準が学ぶ際には大切なのだ。
え)能の特徴 能面をつける実技体験
実技に入る前に代表の一人に能面をつけることから始めた。
お祭り面や仮面舞踏会用の面を着けそれらと能面の違いを見た。能面は1点しか見えない視野が狭いもので他のものと決定的に違うことを確認した。
面(おもて)を付ける際に役になりきる為に「お願いします」と面に向かって挨拶する。能面をはずす際には「ありがとうございました」と感謝する。
次に立ち45度3m離れた講師のいる方向へ来るように指示する。すると驚いたことに左足を右足にかけて少し廻り講師の方向へゆっくりすり足で近づいてきた。何故すり足が必要かを説明する必要がなく、能面をつけると乱暴に歩けないことを身体で示している。
【生徒の感想】
能面の視野にその演じ方の特色が出ている
知識を積むよりも体験する方が何倍も分かることが出来るし楽しめると気づけた時間でした
体験が大事ということでは、扇が空を切る音や踏み込みの振動だったり、多角的に心をゆさぶられることを目の前で見るというのは何倍もの迫力がありました
お)能とは
【生徒の感想】
能楽の話だけと思っていたら海外の文化の話や精神医学的な話まで多くの分野に深く関連し、様々な視点から物事が話され今後の人生に生かせる様な話もされているのが驚きであった。実技に関して紙面などでは学ぶことの出来ないような細かい作法や動きに関しての理由などが知れて驚きでした。
能は過去のことだけを扱うと思っていたが現代にでも通ずる問題提起ができることに驚き能に対しての印象がとても変わりました
か)仕舞体験
二グループに分け、最初のグループが舞う時はもう一つのグループの人達はその舞をみながら地謡をする。次に交替。
【生徒の感想】
能の洗練された動きは能面をつけることを前提として視野の狭い中で安全に進むためのものであると知り納得しました。やはり機能的な動きは余分なものが極限まで減らされた状態だと感じました。両手、両足、頭それぞれが異なる動きをしながらも、要所要所で動きをそろえたり、基本の定まった型を交えることで一つの作品に統一感を生んでいることが分かりました。また能がこれまで受け継がれてきたのは、未来まで考えられるような理論に裏打ちされているからだと知りました。温故知新という言葉を体現した文化だと感じました。
頭、体、手、足それぞれを使うことによって多彩で豊かな表現が出来ると分かった。古くから伝えられてきた人々の考え方が現代の私達にも繋がる考えがあることにとても驚いた。他の分野にも活かせるところがないかもっと深く考えたい。
動きは素早くて多いというわけではないが動きの丁寧さがやはり他の国とは違うおもむきが感じられて能に前よりも興味がわきました。
西洋音楽の楽譜とは違う能の型付けをみて能をする人はお話の表現を読み取り動いていることに感動しました。舞も落ち着いていて無駄のないしなやかな動きも体験してみると上手く出来なくて悔しかったのですが能の演者はすごいなあと感心しました。
3 能の道を追求する原動力
自由に生きるヒントが能の中にあると思えるので、苦しい時、道に迷った時詰まった時に能の中の人達の生き方や思いを探すことで生きる道がみえて来て、多くの苦悩を乗り越え人間らしい生き方の追求がそこにあるから求めるといえる。
4 能を通して見ている人に伝えたいこと
能は考える内容を限定しない。これをこう考えるべきだと強要しない。自由に考えることができるからこそ多様な自由な想像が出来、新しい創造ができる。自由な考えを他に限定されずに妨害されずに持てることは意外に難しいこの世の中に私達は生きている。そのことが自覚できるのが私にとっては能といえる。
能からその時代に生きる人の願いをくみ取り、その人達の無念の思いを受けとめ今に生きる私ができることを探す。その時代になぜ出来なかったか、今なら出来るのかを考え、今私が出来ないのはなぜかと考えその理由は何なのかを考えながら生きていく。今できないのは私一人の問題ではないことを能は教えてくれる。
5 能を演じるに当たって何を準備し学ぶか
役に徹して調べていく。その時代状況、能の作者の特徴と他の作者との違いや時代背景。同じ作者の他の作品との違い。その作品の時代背景やものごとの捉え方の特徴。言葉使いの現代との違い。等々。能は今の言葉では分からないので当時のことを知るには調べ学ぶより道はない。
外国人が能を見て日本独特の文化を感じるそうだ。能が始まって笛の音が聞こえても何も起らない。事故でもあったのかと思う頃やっと人が出てくる。一区切りの息の長さは日本独特といわれ、現代日本人は欧米化して先を急ぎすぐに説明を求め結論を知りたがる人には能のこの悠長さも日本独特と知ってかからなければすぐに飽きることになる。
能は音楽劇で使う楽器は笛・小鼓・大鼓・太鼓の4つでそれぞれの発するかけ声も演技の合図になるので能の音楽についても能鑑賞の際には予習が必要となる。イタリアオペラの楽団員の方が日本の観客は優秀でオペラを鑑賞する際には粗筋も予習しており模範的な観衆だと褒めていたが、能については全く予習せず、それでは三分もしないうちに飽きてしまうだろう。なぜこんなことになるのか。能は日本語だから分かると云う前提なのだろうが同じ日本語でも今と600年前とは違い、外国語と同じ程予習が必要なものだ。
このように演じるに当たって調べることは多いが、調べて演じていくと今と異なる時代に私が生きていたらどうなるかは必然的に考えることになる。そして能のシテ(主人公)の人生を生きる事になる。自分なしに役は演じられない世界といえる。
6 質問に応えて
【生徒の感想】
講義中に聞けなかったのですが、観客やファンについて
私は歌うのが苦手なのですが、能なら楽しく謡えると感じました
男女どの役にもなれて全員が主役ということが素敵だなと感じました
お応え
自分が関わることが大事。勿論能ファンもいますが”ジャニーズ””AKB48”のファンは自分はあくまで見る側でそこに属して自分も演じるとは思っていないが、能には自分が関われるという姿勢をみることができる。三歳児が話す言葉を聞いて、音程が悪い、声の質が悪いとは誰も言わない。九十六歳の老人の会話に音痴だとは言わない。しかし文法の間違いは周りの人が直して行く。能の言葉も同じで言葉も時代のなかで変化しまた能で扱う事柄もその時代では皆が知っていた事柄も私達は当時のことを調べなければ理解出来ないことも多く、だから下調べ、当時のことを調べる事が能理解の前提となる。シテ(主人公)の音程を地頭は変えて謡ってもよいが地謡の人達は地頭に声を揃えなければならない。
7 事前アンケートで
すり足に興味がある。両手、両足、身体、頭が別々の動きをするとレジメにあったので面白そう
と具体的に視点を持って参加した生徒の感想は次のようである。
能の世界から科学・数学・哲学に発展していくのが面白かった。様々な分野は繋がっていて色んな場所からの観点を持って考えていくことの必要性を学びました。とても迫力のある歌声で、能の謡もさることながら「バイカル湖のほとり」もまた聞きたいくらい好きです
多様に自分の好きなことを拡げて下さい。初めはばらばらに思えてもいつか繋がるときがくることを信じて自分の道をすすんで下さい。
8 学びに際して参考にして欲しいこと
あ)自分の意見を持つには自分と異なる意見を三つは見ておくこと。
現在は便利な時代でユーチューブなどの利用、パソコンを使っていろいろ検索できるが、最初に見た記事だけではなく異なる見解・意見を知りながら自分の世界を拡げよう
い)その中で少数意見にも注意を払おう。
う)自分の専門領域だけではなく、自分の興味の範囲を広げよう。
9 お知らせ
- 仙台市能楽振興協会では仙台市との共催で一年に一度能公演を持っており、能楽五流派(観世流・金春流・宝生流・金剛流・喜多流)が交替で務めている。コロナ禍で流動的だが、仙台市の広報にも記事が掲載されるので関心を持っていただきたい。そして能を見に来てください。
- 「金春の能 上」金春安明著 新宿書房 を今回の講座で一部分紹介したが、「金春の能 中」金春安明著が2022年秋には発売予定で、私も編集にあたっており是非皆様に観ていただきたい。また「金春の能 下」金春安明著にも取りかかり3~4年後には発売予定。
少数しか売れないため一般書店では扱わないことがあるので扱い先
金春円満井会(こんぱる えんまいかい) 電話 03-6913-6714
能―BOXでお稽古体験講座を持っています。
講座記録記事担当 工藤 敏成