質問箱「能の泉」第6回

能の泉

舞台で待機している役者が袴の中に手を突っ込んでいるのは、不用心で武家の作法に反しませんか?

この問題についてはまともに反論している文献をついぞ見たことがありません。そこで筆者の研究に基づく仮説を提示して反論と致します。

即ち、「袴に手を入れる作法は上級武士(裃役)の作法である。従って裃を着用出来ない羽織袴役以下の下級武士にはその心得がない。この作法は維新後の上級武士の没落とポケットに手を突っ込むのを不作法とする西欧との交わりの中で次第に忘れ去られて能の世界にのみ残存したものである」と筆者は考えています。

大石内蔵助切腹の介錯を勤めた安場一平がその名誉を後世に伝えんと絵師に描かせた掛け軸が今に伝わっており、屋敷内に待機している役人衆が事細かに描かれていて、うち裃役はほとんどが袴に手を入れ、羽織袴役は皆手を出しています。
また、朝鮮通信使絵巻の歩行中の武士も、裃役は袴に手を入れ羽織袴役や白衣役は手を出しています。

ちなみに武家の統領十五代将軍徳川慶喜、仙台藩主伊達慶邦、兜割で名高い榊原謙吉、甲源一刀流逸見太四郎、大石神影流大石又六郎等の古写真でも袴に手を入れた姿を確認することができます。

今の武道界にこの作法が残っていないのは、多分手を入れにくい稽古着の普及と上等な袴を着ける機会がないために忘れ去られたのです。明治期の記念写真にはまだ心得のある武道家が散見し、ある時期から全員手を出すようになっています。申し合わせたのか、無知な写真屋の入知恵か、何れにせよ残念なことです。

宝生流を嗜む徳川一門の十徳会の集合写真(昭和初年)を見ると、宗家家達公を真ん中に前列全員が袴に手を入れています。この作法が能の世界に残ったのは、能が維新後も上級武士階級出身者の趣味であり続けたからでありましょう。

(副会長 宝生流 村上良信)

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